ikeの日記

しがない研究者の雑記。

投票参加は集合行為(!?)

最近自分の周りでは投票の話題が多い。理由の一つは、投票日が来週の火曜日に迫っている、中間選挙である。そしてもう一つ自分の大学に固有の事情として、大学院生労働者(TA・RA)の労働組合化の是非を問う院生投票が現在行われていることがある。

ところが自分は政治学研究者としては嘆かわしいことに、投票権のない前者のみならず、後者にも興味がわかない。
その理由としては、(i)自分が投票したところで結果は変わらない、かつ(ii)労働組合化のメリット・デメリットを調べて自分の意見を決めるのがおっくう、という点にある。

ここで面白いのは、自分が労働組会化について投票しない理由が、政治学における古典的な政治参加の議論に完全に合致している点である。
Riker and Ordeshook (1968)に代表される合理的選択論による議論では、投票参加は集合行為の一種と考えられる。つまり、社会全体としては有権者による投票参加が望ましいにもかかわらず、個人レベルではコストがその便益を上回るため、投票参加は「合理的」ではないのである。1

近年では投票参加を集合行為と捉える研究は減っているし、個人的には有権者の行動を合理的選択論を用いて説明することには否定的だ。
ただ、今回の件で投票参加についてはある程度(例えば選挙の特質によっては)合理的選択論的な説明もあってもいいという気がしてきた。2

もっとも、規範的にはいかなる選挙であっても権利がある限り投票をすることが望ましい。
今回自分はその規範から逸脱するが…。


  1. Riker and Ordeshook. 1968. “A Theory of the Calculus of Voting.” APSR 62(1): 25-42. かの有名なPr(Vote) = PB - C + Dという式を提示した論文である。

  2. Aldrich (1993)によると、投票参加はコストも便益も低く、これらのちょっとした変化で参加の確率が変化するため、集合行為ではない。ただ、選挙の性質によってそのコストは大きく変わるため、投票参加が集合行為である場合もあり得るだろう。Aldrich (1993). “Rational Choice and Turnout.” AJPS 37(1): 246-278.